『一枚の古写真』番外編『火力発電所』
昭和期のことをもっと知りたい、整理していきたい、そしてその事実を繰り返して伝えたいと、写真があるからそのきっかけとなり、色々なことを知ることが続いています。
しかし、見てきた写真の中には歴史的事実を知らないから気が付かない、或は見落としなどもあります。
今回の写真は正にそうでした。
ヒントは先に再発見の『クエン酸工場』で、何度も見ていた昭和初期の航空写真をあらためて見るとそれが写り込んでいた上に、新たな発見がありました。それが『発電所』を確認できたことでした。
大正4年(1915)に江向に萩火力発電所(蒸気機関発電所)が建設されると市史年表にもありました。
でも? 確かそれ以前に電気が点っていたはず? そんな今回の話題です。
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■余話 電力・電灯の歴史
明治43年(1910)1月 浜崎に火力発電所を建設し、翌年10月から萩・椿東・椿の地域に10燭光90銭、5燭光70銭(月額)で点灯を開始した。

大正4年(1915) 8.4 萩火力発電所(蒸気機関発電所)が江向に建設される。最大出力200KW。
昭和4年(1929)3月 廃止される。

昭和2年(1927)11.1 県営電気が萩電灯株式会社を統合する。土原540番地に山口県萩電気出張所が    開設される。

昭和8年(1933)11.21山口県電気局は木間の送電線工事を完了し、送電を始める。点灯を記念して木間小学校で祝賀会が開催される。
昭和17年(1942)4.1 配電統制令により、山口電気局など中国地方の電気局を統合して中国配電株式会社が設立される。これに伴い、山口県萩電気出張所は中国配電株式会社萩営業所となる。
昭和22年(1947)10.25電力事情が悪化し、一家一灯の励行運動が起こる。
昭和26年(1951) 5.1電力再編成により、中国配電株式会社は中国電力株式会社となる。これに伴い、中国配電株式会社萩営業所が中国電力株式会社萩営業所となる。
昭和46年(1971) 6.17椿字沖田に中国電力萩営業所が新築、落成する。

■電灯争議
 大正13年 萩・防府の両電灯会社は、このとき県営移管も拒絶したばかりか、料金の値下げにも応じなかったのである。このため萩電灯会社の需要者(戸数5300戸、1万5000灯)は、3月17日に萩町公会堂で「萩電灯需要者同盟」(会員2300人)を結成し、会社側に県営並みの値下げを要求して交渉運動を展開したが、会社側がこれを拒否すると、9月から料金不払い運動を展開するとともに、県に斡旋を申し入れた。

■余話 浜崎新町・中ノ丁の古写真   
この写真覚えていらっしゃいますか?   http://hagihaku.exblog.jp/19743419/
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これは2012年萩博物館企画展「コマーシャル100年 展で萩・再発見」の際に発表された写真です。
場所は浜崎新町・中ノ丁ですが、手前に電柱が一本立っています。電灯用の電柱で、
明治43年(1910)1月 浜崎に火力発電所を建設と年史にありますから、それ以降の写真と判断されます。(筋の先 (南方) には亨徳寺・海潮寺が拡大では見えました)
担当学芸員から聞いた話ですが「自宅を処分するので要る物があれば選別して欲しい」とのこと。
掛け付けると、この写真は既にホグ袋の中にあった物を見つけて、救われた一枚でした。
ご本人にはこれから将来にも必要ないと判断されたでしょうが、こんなに大きなおたからになっているのです。
どうぞ、簡単に処分しないで後世に引き継いでいきましょう。
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by NPOmachihaku | 2014-03-02 11:40 | 学芸サポート・古写真班
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