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『今古萩ふれあい会』サロンへの出前活動 4.9
市内の町内から出前依頼が増えつつあり、交流の輪が広がってきています。
ただ、当班の事情もありなかなか理想的に活動の展開ができない状況もあります。

さて、今回の出向いた町内は皆さんが良くご存じの吉田松陰先生が投獄された『野山獄』跡の一部に建てられた『今古萩老人いこいの家』でした。
その様な歴史を感じさせられる地区ですが、では「今古萩はいつごろ誕生したのでしょうか?」
今回はその町の誕生から振り返ってみました。

『萩図誌』や藩政の絵図なども用いて一寸したお勉強会にもなりました。
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 城下町萩は、基線の方位を異にする三つのブロックから成立って、堀内を含む新堀以北は『古萩ブロック』として、
元和八年(1622)、三の曲輪の外側に南北に貫通する外堀が開削されると、重臣屋敷の集中する堀内と古萩に分断された。 
古萩の北部は侍町、内部に寺町、南部は町人町の中に飛地状に所々に侍町が形成されたが、次第に侍町は町人町に場所を譲った。
この地域に取残された侍町は、明治六年以降、南古萩、北古萩、今古萩と町名を改めた。

今回ご覧いただいた写真類は旧東京都立大学建築学部研究室の城下町と建物調査を10年間実施された中の
昭和50年に同町を記録された写真を使用しました。
昭和50年はついこの間のことの様ですが、かなり変化がありました。
中では「現在そのまま」の声や「前の我が家」、「○○さんのとこ」等、懐かしくご覧いただき大変盛り上がりました。

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今回地元より15名の方々が参集され楽しいひと時を過ごしたのですが、いつものように記念撮影をするのを撮り忘れる失態をしてしまいました。
会場の片付けで最後にお残りされていた方を代表していただき記念の記録とさせていただきました。
次回は来週に明木が急に舞い込み、来月には越ケ浜の予定が入っています。      (K・A)
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by npomachihaku | 2013-04-22 11:35 | 学芸サポート・古写真班
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