NPO萩まちじゅう博物館では、市民の皆様に萩地方の歴史・文化・自然について理解し、親しんでいただくために、
本年度も以下のとおり萩博物館講座室で市民講座を開設いたします。 ■と き 5月24日~12月13日の原則第2木曜日 午前10時~正午(現地研修がある場合は午後4時まで) ■ところ 萩博物館講座室および現地 ■参加料 500円(資料代、全講座分) ※都合により変更の場合があります *回 *日 時 *講義内容 *講師 1 5月24日(木) 伝建地区「佐々並」の歴史 萩市文化財保護課 主任専門職 (午後現地研修) 大槻洋二 2 6月14日(木) 大茶人 藤田伝三郎 萩博物館副館長 樋口尚樹 3 7月12日(木) 山口県の活断層と地震 山口大学大学院理工学研究科教授 金折裕司 4 9月13日(木) 萩焼-茶碗への憧れ 13代坂高麗左右衛門 坂純子 5 10月11日(木) 揖取素彦 萩博物館研究員 道迫真吾 6 11月8日(木) 萩の街道 山口県文書館研究員 山田稔 7 12月13日(木) 活動発表 NPO萩まち博 学芸サポート・古写真班 「古写真を通し 萩の再発見」 木村登 申し込みは4月30日までにNPO萩まちじゅう博物館事務局(0838-25-3177)へお願いします。 ![]() 昨年の講座の様子
NPO萩まちじゅう博物館研修班では、市民の皆様に萩地方の歴史・文化・自然について理解し親しんでいただくために、
本年度も下記のとおり市民講座を開設します。 本日は5/19(木)に開催される「萩・阿武の中世風土記」の資料を作成しました。 準備万端です。 ![]() ○期日5月19日(木)~12月8日(木)原則第2週の木曜日 ○会場萩博物館講座室 ○日程・内容午前10時から12時 ![]()
NPO萩まちじゅう博物館では,市民の皆さんに萩の歴史的・文化的遺産および自然景観等を幅広く理解していただくために、市民講座を開設します。
■と き 5月21日~11月12日の原則第2木曜日 午前10時~正午(現地研修がある場合は午後3時まで) ■ところ 萩博物館講座室および現地 ■参加料 500円 (資料代、全講座分) ※ 都合により変更の場合があります 回 とき タイトル 講師 1 5月21日 幕末通史その2 吉賀正弘 (NPO萩まち博研修班) 2 6月11日 松陰の遊歴(西遊の旅) 弘長純忠 (NPO萩まち博研修班) 3 7月 9日 掘り出された江戸時代 柏本秋生 (文化財保護課) 萩城外堀の発掘から・現地研修あり 4 8月 6日 笠山の生物 伊藤靖子 (萩博物館) 5 9月10日 萩に残る近代化産業遺産 道迫真吾 (萩博物館研究員) 6 10月 8日 笠山の自然環境史 樋口尚樹 (萩博物館副館長) 7 11月12日 大照院の由来と変遷・現地研修あり 清水宗杲 (大照院住職) 申し込みは4月30日までにNPO萩まちじゅう博物館事務局(0838-25-3177)へお願いします。 ![]()
萩を訪れる観光客に対し市民誰もがやさしく親切に対応するためには、遺産に対する
正しい理解とそれに関連する主たる場所等を再確認する必要があります。 NPO萩まちじゅう博物館研修部では、市民の皆様に萩を再発見していただくために、 本年も以下の通り萩博物館講座室や現地で市民講座を開設することにしました。 市民の皆様の参加を募集致します。 1. 開催期間 平成18年5月 ~ 平成18年11月 2. 場 所 萩博物館講座室並びに各現地 3. 講義日程・内容 5月から11月までの第2・4週の木曜日を原則とし、午前10時から12時頃まで。 講義日程・内容の詳細はホームページにて掲載しております。ご覧ください。 5. 現地研修 現地研修では、移動が徒歩のため時間がかかります。開始時間を30分早め、 9時30分から12時頃までとします。 ・6月8日の椎原地区の現地研修は、松陰神社駐車場に集合。 6. 備 考 募集人員は40名、先着順で定数になりしだい締め切らせていただきます。 受付は萩まちじゅう博物館の井町まで、電話・ファックスでの申込み可。 氏名・住所・電話番号をお知らせ下さい。 TEL 25-3177 FAX 25-3142
市民講座 『松陰門下生シリーズ 高杉晋作(第3回)』
研修部主宰の市民講座『高杉晋作』の第3回(最終回)の講義が、一坂太郎特別学芸委員を講師として、2月11日(土)10時より博物館研修室において開かれました。 最終回は、晋作が文久元年(1861)に世子定広の小姓役を命ぜられて初出仕してから、6年後の慶応元年(1867)に満27歳と8ヶ月の短い生涯を閉じるまでを講義していただきました。この僅か6年という歳月は、日本にとってまさに激動の時代もと言うべき時期でしたが、晋作にとっても時代の奔流に身を投じざるをえない状況に追い込まれた時期でした。以下、晋作の足跡を年代順に追ってみます。 『文久2年(1862) 幕吏随行員として上海に渡航。英国の植民地となっていた上海の実情をつぶさに見て危機感を募らせる。また、「陳汝欽」という衛兵との交流にも刺激を受ける。帰朝後、独断で蒸気船を購入するという行動からもその危機感がうかがえる。その後、村塾生らと品川御殿山に建設中の英国公使館を焼打ちする。 翌年、幕府や列強に対する藩の無策に失望して、10年間の暇を願い出、松本村に隠棲。(この頃より「東行」の号を用いる)。しかし、藩内外の情勢は、晋作の隠棲を許すような状況にはなく、文久3年(1863)第一次馬関攘夷戦戦争の講和談判のため、正使として馬関に遣わされる。6月、藩の諮問に応えて奇兵隊を結成、その総督を命ぜられるも3ヵ月後に辞職。 そして、元治元年(1864)になると、池田屋の変、禁門の変、第一次征長令発令、四ヶ国連合艦隊の馬関来襲と、藩にとっては未曾有の重大事件が相次ぎ、長州はまさに存亡の危機に瀕した。しかし、この間、晋作は、禁門の変の直前に来島又兵衛の京都進発の阻止に赴いた際、藩に無断で上京した罪で下獄していた。もし、禁門の変に晋作が出陣していれば、久坂玄瑞らと共にここで討ち死にしていたかも知れない。だが、歴史はまだ晋作を必要としていた。 慶応元年(1865)亡命先の九州から帰還するや、下関で決起して萩藩会所を襲撃。幕府への恭順を是とする俗論派を絵堂に撃破し、藩是を「武備恭順」に転換せしめる。 翌2年(1866)6月、幕府は第二次征長令を発して長州に迫り、四境戦争勃発。9月幕府は征長軍に撤収令を発する。慶応3年4月13日、かねてより患っていた結核が悪化し、波乱に満ちた29年の生涯を閉じる。幕府崩壊に先立つこと、僅かに9ヶ月前のことであった。』 馬関戦争の講和談判後、攘夷に固執する藩内の激派から命を狙われた晋作は、四国や九州を逃げ回っていましたが、藩の俗論派が幕府への恭順を藩是としたことを知るや、俗論派打倒の決起を決意したのです。しかし、長州に帰国して同志を募ったものの、力士隊を率いていた伊藤俊輔を除き、奇兵隊をはじめ諸隊はこれに同調しませんでした。 当時の志ある青年の多くが、情報や知識としてアヘン戦争や列強の植民地支配についてよく知っていましたが、晋作は上海で実際に植民地支配の実情を見ていました。この「実際に見た」ということこそが、西洋列強の侵略に対する危機感を、誰よりも強く募らせることになったと一坂講師は強調されています。 高杉晋作という一人の青年が、幾多の優れた人物に巡りあい、また当時にあっては、多くの志士には望むべくもない上海渡航という貴重な体験を経て、激動の時代を一条の光芒のように横切っていった経緯には、「教養小説」を読むような面白さがあります。高杉晋作という青年が、今に至っても我々に爽やかな印象を残している理由が、改めて理解できたような気がします。 ともすると、晋作を描いたドラマや小説では、破天荒な言動と奇矯な性格が強調されているようで、画面に出てくるたびに、だらしの無い格好で酒ばかり呑んでいる蓬髪の晋作を映画で見たことがあります。一坂講師は、実際の晋作は萩藩の大組士としての、折り目正しい武士であったと言っておられれます。 計3回、6時間に及ぶ一坂講師の講義によって、我々は晋作という人物を通じて、幕末・維新史を学ぶことの面白さを十分に知ることができました。 なお、研修部では、今後もこうした講座を計画しています。講座の内容につきましては、また改めてご案内する予定です。(以上)
1月28日、第2期市民講座『高杉晋作』の2回目の講義が、一坂太郎特別学芸員を講師として、萩博物館研修室で行われました。前回は、晋作の誕生から16歳の時に父の参勤に従って江戸に上り、黒船という「西洋文明」との衝撃的な出会いを経験した後、帰国して松下村塾の門を叩くところまでを講義していただきました。
今回の講義では、幾多の功臣を輩出した高杉家の一人息子として、志士の中では例外的に恵まれた境遇にあった晋作が、松陰と出会うことによってどのように変わっていったのかを学びました。一坂講師は、藩校明倫館の教育に飽き足らぬものを感じていた晋作が、「下田踏海」で罪を得た松陰という人物に関心を持ち、自ら村塾の門を叩いたと考えられると語っています。そこから、実際に目の当たりにした黒船から受けた晋作の衝撃の大きさが見て取れるとしています。 松陰は「日米和親条約」の締結を契機に次第に先鋭化し始め、門下生もこの影響を強く受け次第に倒幕へと傾斜してゆきます。しかし、その間晋作は再び江戸に上り、ひたすら昌平坂学問所などで学んでいました。文久元年(1861)、22歳で結婚した後も、航海術修得や剣術修行に意気揚々と取り組みながら、直ぐに挫折するという日々を送り、翌年、世子の小姓役を命ぜられて初めて藩に出仕します。この頃から、晋作は歴史の大きなうねりに否応なく巻き込まれてゆくのです。 一坂講師の話では、晋作の人間味あふれる姿も伺い知ることができました。晋作が航海術を学ぶために江戸へ出航したものの途中で不向きであると悟り、毎日詳しくつけていた航海日記を書くのをやめ、航海術を学ぶことまでも断念したとか、剣術修行にでたものの思った成果があがらなかったからかやめることにした、といったエピソードを聞くと、奇兵隊を結成し、強固なリーダーシップを発揮した晋作にも私たち凡人と同じような悩みや挫折をもっていたのだと、親近感を感じることができ大変興味深いものがあります。 次回、第3回の『高杉晋作』は、2月11日(土)10:00より、萩博物館研修室で行われます。最終回は、奇兵隊を結成し四境戦争に勝利した後、生涯の役目を終えたと言わんばかりに、29歳で倉皇として逝くまでを講義していただくことになっています。晋作という細い支流を辿って下っていくうちに、いつしか幕末・維新史の本流に乗り出してゆく面白さを、この講義によって知ることが出来るのではないかと思います。(尚、2月11日は、事前の申し込みがなくても、当日会場にお出でいただければ受講できます)。以上
研修部は、市民の皆様に萩の歴史・文化を再認識していただくため、あわせて「NPO萩まちじゅう博物館」の会員に、萩の歴史や文化に対する理解を一層深めて今後の活動に役立ててもらうため、「市民講座」を開設しています。既に’05年5月から9月までの第一期の講義や現地講習を終え、10月から2月までの第二期の講義を実施しているところです。 )
研修部主催の「市民講座(第2期目)」の「萩再発見」のうち、「松陰門下生シリーズ」が ’06年1月14日(土)10時より、萩博研修室に於いて、一坂太郎特別学芸員を講師として行われました。当日は寒中とは思えぬ暖かさだったものの、あいにくの大雨で受講者の出足が心配されましたが、受講予定者の約半数18名の参加をみて予定通り行われました。 講義は、永年に亘って高杉晋作の研究に携わり、維新関係の著作も多い一坂太郎萩市特別学芸員から、「高杉晋作の生涯」を、三つの大きな転機となった出来事を中心に、3回に分けて解説して頂くことになっています。 今日はその第1回目として、晋作の誕生から松陰との出会いまでを、その時代背景や萩藩内の動向などを織り交ぜながら、詳しく講義していただきました。 萩藩には、もともと身分・石高を問わず、優れた人材を登用する制度が早くから整備されていましたが、晋作が若くして藩の要路に受け入れられた理由はそれだけではありませんでした。代々藩政庁の重職を担うなど、幾多の功臣を輩出した高杉家は、萩藩にとって言わば特別な家柄でした。高杉晋作という不世出の軍略家の事跡を見る上で、立藩以来の萩藩の独特な藩風と共に、このような高杉家の由来を抜きにしてはとうてい理解できません。 松陰から、『任意自用の癖あり(自分流に勝手に物事を解釈する傾向がある)』と評された晋作の闊達で奔放な生き方は、高杉家の藩内における位置と決して無関係ではなかったのです。 しかし、だからと言って晋作はただその出自だけで藩内で重きをなしていったわけでは勿論ありません。後に松陰をはじめ多くの傑出した人物と出会う事によって、時代に対する鋭い認識と深い洞察力を身につけていったのです。松陰をはじめ優れた人物との邂逅こそが、晋作の生涯を決定付ける重要な役割りを果たしたと言っても過言ではありません。幕末という疾風怒濤の時代を、一陣の風のように足早に駆け抜けていった晋作の生涯は大変ドラマティックで、講義の後の受講者の感想でも、「人との出会いが一大転機になることの面白さ」が上げられていました。 次回は1月28日(土)10:00より、松陰門下生となって以降の晋作の事跡を辿る事になっています。一坂講師が「三大転機」のうちの最も重大な転機として上げている松陰との出会い、更には上海渡航による西洋文明との出会いへと続きます。 < 前のページ次のページ >
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わたしたちNPO萩まちじゅう博物館は、まちじゅうがまるで博物館のような萩のまちを次の世代に引き継ぐため、このまちの素晴らしい歴史や文化、自然を守り、活用する取り組みをおこなっています。 NPO萩まちじゅう博物館HP カテゴリ
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