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市民講座 『松陰門下生シリーズ』 第2回 (1月28日)
 1月28日、第2期市民講座『高杉晋作』の2回目の講義が、一坂太郎特別学芸員を講師として、萩博物館研修室で行われました。前回は、晋作の誕生から16歳の時に父の参勤に従って江戸に上り、黒船という「西洋文明」との衝撃的な出会いを経験した後、帰国して松下村塾の門を叩くところまでを講義していただきました。

 今回の講義では、幾多の功臣を輩出した高杉家の一人息子として、志士の中では例外的に恵まれた境遇にあった晋作が、松陰と出会うことによってどのように変わっていったのかを学びました。一坂講師は、藩校明倫館の教育に飽き足らぬものを感じていた晋作が、「下田踏海」で罪を得た松陰という人物に関心を持ち、自ら村塾の門を叩いたと考えられると語っています。そこから、実際に目の当たりにした黒船から受けた晋作の衝撃の大きさが見て取れるとしています。
 松陰は「日米和親条約」の締結を契機に次第に先鋭化し始め、門下生もこの影響を強く受け次第に倒幕へと傾斜してゆきます。しかし、その間晋作は再び江戸に上り、ひたすら昌平坂学問所などで学んでいました。文久元年(1861)、22歳で結婚した後も、航海術修得や剣術修行に意気揚々と取り組みながら、直ぐに挫折するという日々を送り、翌年、世子の小姓役を命ぜられて初めて藩に出仕します。この頃から、晋作は歴史の大きなうねりに否応なく巻き込まれてゆくのです。

 一坂講師の話では、晋作の人間味あふれる姿も伺い知ることができました。晋作が航海術を学ぶために江戸へ出航したものの途中で不向きであると悟り、毎日詳しくつけていた航海日記を書くのをやめ、航海術を学ぶことまでも断念したとか、剣術修行にでたものの思った成果があがらなかったからかやめることにした、といったエピソードを聞くと、奇兵隊を結成し、強固なリーダーシップを発揮した晋作にも私たち凡人と同じような悩みや挫折をもっていたのだと、親近感を感じることができ大変興味深いものがあります。

 次回、第3回の『高杉晋作』は、2月11日(土)10:00より、萩博物館研修室で行われます。最終回は、奇兵隊を結成し四境戦争に勝利した後、生涯の役目を終えたと言わんばかりに、29歳で倉皇として逝くまでを講義していただくことになっています。晋作という細い支流を辿って下っていくうちに、いつしか幕末・維新史の本流に乗り出してゆく面白さを、この講義によって知ることが出来るのではないかと思います。(尚、2月11日は、事前の申し込みがなくても、当日会場にお出でいただければ受講できます)。以上
by NPOmachihaku | 2006-02-04 17:21 | 研修班
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