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塀の話    <学芸サポート・古写真班>
最近市内の所々で土塀の痛みが進み修復されている光景があります。
特にその規模が大きい問田益田家土塀は堀内後町筋にあって観光客の注目されるところです。
現在その北側(後町)の石組み塀が修復されています。
先日施工者の方と現地で話したことですが、「壊れる要因は?」と訪ねると「第一に車の振動、第二が木々の根が張って
押し出されたこと」と言うことを聞きちょっと驚きましたが、「当時は歩くか馬でしたから」、「夏みかんの栽培に防風木を植え
ているその成長によるもの」と付け加えられ「確かに・・」と。
最近よく使う写真ですがその場所がこの通りの付近でした。

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[萩市の文化財]の中の「問田益田家の土塀」ついては次の通り説明されています。
問田益田家は永代家老益田家の分家筋にあたり、給領地(4,096 石)を問田(現 山口市)に持っていたのでこう呼ばれた。
この土塀のある堀内地区は旧萩城三の丸にあたり、高い土塀を巡らした重臣たちの屋敷が建ち並んでいた所で、
重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。この地域には土塀が数多く残っているが、なかでも延長231.7mある
問田益田氏旧宅土塀は往時の姿を最もよくとどめている。
土塀の構造は下部の石垣部と上部の塗壁に分かれており、石垣部分は高さ約1.0m、幅1.1m、上部の塗壁部分は
高さ1.45m、幅0.8m、本瓦葺の堂々たるものである。藩政時代この一帯の塀壁はすべて白壁で天気の良い日には
まばゆいほどであったと伝えられている。

※同土塀の延長231.7mの内、最長の東側面(横町)は約145m程度と言われています。

今後の勉強会の資料に加えていくことにします。
by npomachihaku | 2011-02-08 14:13 | 学芸サポート・古写真班
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